ー 破綻なく ー
踏木を踏む。片手で杼を投げ入れ、もう片方の手で受け止める。同時に踏木を踏みかえて筬打ちをする・・・至極単純なこの作業を延々と続けた先に、ようやく一反の織物が織り上がります。
これまで、いったい何万回、何十万回この作業を繰り返してきたことでしょう。
緯糸の緩みの入れ方が均一でなかったり、経糸の張り加減が違ったり、筬打ちの強さにばらつきがあったりすると、てきめんに織布の上に現れてきます。
NEW!
2018年5月4日(土) 大島機
解体した機が届きました。
大島紬の織機です。
「熱海に引っ越すのでよろしくね」と織りの大先輩からの電話があったのは年明け早々。山梨の家を整理して、温暖な地で老後を過ごすとの由!!!
ずいぶん以前から、機を降りたら引き継いで私に使ってほしいと言われてはいましたが、多くの生徒さんを持っていらしたので実現するとは思っていませんでした。
それからかれこれ20年ほどが経ったでしょうか。 私は還暦を過ぎ、先輩は喜寿を迎えました。
みんな等しく年をとり、追い越しも追い越されもしませんが、そんな時がやって来たのかと感慨深いものがあります。
自分ならと考えてみた時、長く使い続けてきた機は、やはり然るべき人に引き継いでもらいたいと思います。そういう意味で、「私に...」と言って下さったことは光栄で嬉しいことです。
私の機は八王子の機で、この大島機も同じく釘を使わない伝統的な木組みです。
着物を織るには木組みの機でないと持ちません。
私は何度かの引っ越しの度に解体・組み立てを繰り返しながらも30年使っても寸分の狂いもありません。 大島機も同様です。
組み立て順もコツもよく解っていますが、力も必要で均等に少しずつ打ち込んでいかないと、手に負えなくなります。 助っ人を頼もうかと思いましたが、やってみました。
上手く組み上がりました。
あとは細かい部品を取り付けていくだけです。
私はあと何年織れるでしょうか。
機とともに先輩の思いも引き継いで、私も少なくとも喜寿までは織りたいものです。
2017年12月26日 水面下
先日、個展の案内状の着物の撮影をして下さったプロのカメラマンに質問してみました。
山歩きをしていると、いろんな景色に出会い、それはそれは感動して写真を撮っては見るものの、あとで見るとがっかりしてしまうと。
その若い人はサラリと答えてくれました。 納得のいく1枚の写真を撮るために数時間、丸一日、一週間、あるいは一年でも待つことがあると。
この着物もきっと同じでしょう、と。
個展まであと10日程というのに、織り始めました。 ショールを2本織るつもりです。
間に合うのかと問われれば、間に合うと思っているわけです。
一口に「機織り」といっても、織る作業は全体の仕事の中でせいぜい10%程度でしかありません。 彼との問答を思い出しました。
全くそのとおりです。
織りも同じであることすっかり忘れていました。